手助け(見守る愛)
自分が手を差し伸べられるのなら差し伸べてもいい
ただアシストするだけ
その人の選択権を奪ってはいけない
こうした方がいい、ああした方がいい、と思うこともあるだろう
けれど、それはあなたのエゴだ
真の助けとは相手が本気で最後の最後まで疑いなく真実を写したときにこそ手を差し伸べることが可能になる。
「どんどん落ちていく人をみていられない場合は?」
その状況を楽しんでいる節ないか?
そこを確かめる
苦しいと辛いと言いながら、その状況に酔う
つまり悲劇のヒロインを演じて楽しんでいる、のだ。
そんな悲劇のヒロインを熱演している人に対して、平穏な村人の役に変わりなさいと伝えたところで決して村人役にはならないだろう。
だから見極めが必要
本当に本人が助けを求めているのか?
求められた時、応える
それだけでいい
こちらから近付いて手を差し伸べて掴め、ではないのだ
相手が手を伸ばした時に瞬間的に手を掴む。
それくらいの見守る愛が必要。
相手の変容を求めない。
ひとつ覚えていてもらいたいことがある。
助けてと手を伸ばしてきた時に、一緒に下の次元へ引っ張り込もうとする思いがある場合が多々ある。
いわゆる、道連れだ。
私がこんなに辛い思いをしてるのだから、あなたも辛い思いをしろ、と。
それに連れ込まれるとなかなか戻るのに苦労する。
自分のエネルギーを奪われるからね。
道連れにしようとする相手が悪とかそう言う話ではなく、自分はヒーローだと手を差し伸べるの行為もまたエゴであり、見守る愛からは離れている。
だから自己責任でもあるんだよ。
ここで言いたいのは、悩んでいる本人が這い上がるまで待つこと。
最後の最後手助けが必要な時に、適切な時に手を差し伸べ、全力で引き上げる。
それが見守る愛。
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